いつだってここから

50代で未亡人になった私の生活は冒険の始まりでした。みなさんはどうですか?

膵臓がんの発病

今日は夫が闘っていた『膵臓がん』について語ってみようかと思います。

夫は膵臓がんになる10年ほど前に大腸がんを患い大きな手術をしました。発見時結構進行していまして抗がん剤を使用して治療しました。医師にすすめられるままこれしか無いんだと服用していましたが吐き気、下痢、食欲不振、倦怠感の副作用が酷く仕事には行っていましたが帰宅したらほぼ寝たきり。顔色も悪く、外で人に会えば『調子悪そうだね』とよく言われていました。本人もあまりの辛さに予定していた服用期間を断念して中止しました。

それから5~6年経った頃また大腸がんが見つかりそれからは年に2回くらいのペースでできたら取るできたら取る手術を数年間続けていました。ようやく2021年の春に担当医から『これでしばらくは大丈夫ですね』と一応の治療終了の言葉をもらい一安心していました。

 

ところが家に戻って生活していても彼は身体の不調を訴えていました。『そりゃあ完全な健康体に戻るまで時間はかかるよ』なんて励ましていましたが、日に日に食欲は落ちる体重も減る下痢も以前より多くなる。みぞおちの違和感が特に気になったようで病院に行きました。最初は特に異常は見られないとの診断でしたが2021年の初夏に腸閉塞で入院しました。それから退院しても中々体調は良くならず再び受診しましたがやはり異常なし。では一度病院を紹介するのでPET検査受けてみましょうと。彼が言うには『どこも悪く無いのに毎度病院にきて調子悪いって言うから精神的なものじゃ無いですか?みたいな対応だった』と少し落ち込んでいました。そんなに言うならPET検査をすればはっきりするでしょうくらいに医者は考えたのかもしれません。実際その後受けたPET検査では異常は無かったのです。流石に『異常なし』となれば彼も安心してしばらくは元気を取り戻したかに見えましたが体重は減って行く食欲もあまり無い下痢もする…症状は相変わらずでした。ある法事に出た時痩せ細った彼を見た周りの親戚から『その様子なら一度大きな病院で診てもらった方がいい』と言われ本人も辛かったのか今までかかっていた医師に紹介状を書いてもらいそのデータを持って札幌医大に行くことになりました。

また「異常なし」と言われるのかな?それならそれで悪いところは無いんだとハッキリして安心できる。そう思いながら彼が診察室から出てくるのを待っていました。

そしてしばらくして出てきた彼から信じられない言葉を聞かされました。

夫『膵臓がんの疑いがあるって…』

『え?PET検査して異常がないって言われたのにいきなり膵臓がん?』

夫『改めて検査しないとわからないけど多分て。だから検査入院になる』

その日2人で医大に来た時と今この話を聞かされた直後では世界が違って見えました。周りの患者さんを見る。老夫婦がお互いを支えながら会計待ちをしている姿が目に入りました。『あぁ私達にあの未来は無いのかもしれない』涙が出そうになるのをグッと堪えて『泣くな!泣くな!1番辛いのは夫なんだ!私が泣いてどうする』そう強く思ったのを今でも覚えています。

その日は医師が『緊急に検査の予約ねじ込むから今日受けれる検査受けてください』と言われある程度の検査と検査入院の予約を済ませて絶望のまま帰宅しました。それから彼は自分の両親に、まころむは娘達と実家の両親に報告。娘達に報告するのはとても勇気が入りました。『入院してからじゃないとハッキリわからないんでしょ?』意外にも落ち着いた反応でした。しかし検査入院の結果が出て膵臓がんの診断がくだった時には泣いていました。今はすぐにネットで検索できるので彼女達なりに調べたんだと思います。がんの中でも怖い種類のものだと。数多くある情報の中で最悪な言葉も見たでしょう。まころむもそうでした。でもだからこそ向き合うしかなかったんです。

 

入院してからはコロナ真っ只中だったので面会はできず、着替えや届け物も看護師さんに預けるそして受け取るだけで帰るしかありませんでした。様々な検査の結果やはり病名は膵臓がん。もう手術出来る状態では無いので抗がん剤もしくは放射線治療などの別な方法でやってみるしかない事、根治は難しい事の説明を受けました。夫は涙を流しましたがハッキリと医師に

『先生俺前に大腸がんやった時抗がん剤で苦しんだからさ、寿命短くなってもいいから抗ガン剤はしたくない』と言いました。

『奥さん旦那さんこうおっしゃってますが…』

『病気になって辛いのは彼なんで彼がしたいようにさせてあげようと思います』

まころむは不思議と夫の言葉をすんなり受け止めそれでいいよと言いました。それでも僅かな可能性もあるのだから一度だけ抗がん剤治療してみましょうと言う医師の説得もあり、とりあえずやってみるかと夫も医師にお任せして抗がん剤投与の為のポート埋め込み手術をして治療が始まりました。入院して2週間ほど経った頃夫から意味不明なLINEが届きました。そして着信がありいつものように電話に出ると

『昨日夜中に◯◯とか◯◯連れてまころむ来たろ?』

『え?』

『夜中来てたよな?』

『…いや…行ってないよ…』

おかしなことを言うのです。まころむも動揺したんですが強く否定してはいけないような気がしてそう言うしかできませんでした。後日医師からの説明で夫にどのくらいの量の抗がん剤が合うのか調べるのに最初にマックスの量の抗がん剤を使用した事を知らされました。なので幻覚、吐き気嘔吐、痛みが強く出たらしいのです。それですっかり体力と気力を削られ夫はやはり抗がん剤治療はしたくないと申し出て中止することになりました。

当然治療をしない患者を入院させておく事は病院側もできず、痛み止めの薬による痛みのコントロールのタイミングがある程度わかった時点で退院することになり在宅療養に切り替えました。

迎えの退院の日久しぶりに夫を見た時に、すっかり痩せ細り治療の影響で脱毛し始め力無く歩く姿に涙が出そうになりましたがまた堪えました。2021年11月初旬。この時点で医師に『余命は半年…厳しいかもしれません』と言われていました。

 

つづく

 

初孫爆誕‼️

昨日12月11日の夕方に娘が出産しまして、まころむおばあちゃんになりました。

初孫です!娘自身も『本当に自分が子供を産んだのが信じられない』なんて言ってましたが、まころむも本当に自分にお孫ちゃんができたなんて信じられないです。

娘の住む街は実家から離れた距離にあるのと実家が恐ろしくド田舎なので、里帰り出産なんかして母子に何かあった時に対応できないこともあり、帰省する事なく彼女達がお世話になっている産婦人科での出産となりました。

まころむは仕事があるので出産に駆けつける事もできず、産後退院してからの娘とお孫ちゃんのサポートも難しい為娘の旦那さん(G君)のお母さんが泊まり込みでお世話してくださるそうなのでお願いしました。まころむとG君のお母さんはとても仲良しなので変な遠慮や気遣いもしないで済むのでいつも助かっています。そしてG君のお母さんはとてもまめで気の利く女性ですし元保育士さんなのでまころむよりお世話にかけてはプロフェッショナルなのでそういった部分でも心強いです。

 

さてお孫ちゃんは…男の子でした。

ま、今は技術の進化でお腹の中のベビーちゃんの様子も鮮明にわかるので予想はできていたんんですけどね。まころむは女の子しか育てた事がないので男の子のお孫ちゃんのお相手が上手に出来るかちょっと心配でもありますが楽しみの方が上回っているので問題なしです。お陰様で母子共に元気なのでとにかく良かった〜一安心しています。

 

亡き夫はお孫ちゃんの誕生を見る事が出来ませんでした。でも彼が生前不思議なことを口にしたんです。闘病中のある時彼がふと『夢に男の子2人が出てきて俺その子達に一緒に遊んであげられなくてごめんなって謝ってるんだ』と言った事がありました。当時娘は妊娠などしていませんでしたしそうゆう夢みたんだ〜とまころむは薄いリアクションをしました。夫が亡くなってから娘達と彼の思い出話をする中でこの夢の話をしました。『将来孫できたら男の子2人かもね』なんて娘達と言っていたんですがまさしくお孫ちゃんは男の子でした。次もしお孫ちゃんができてまた男の子だったら実は彼は誰よりも一足先にお孫ちゃん達に会ってた事になりますね笑

 

 

今の世の中これからの未来を生きる子供達には良い世の中ではないかもしれません。今以上に過酷な環境におかれる日がくるかもしれません。でもまだ見ぬ先を心配したってキリがありませんよね。いつだってどんな時代だってみんな同じです。その時代を楽しく懸命に生きるしかないんですから。ただ願わくば大切な存在のお孫ちゃんには健康で幸せに人生を生き抜いてほしいなと思っています。

頑張れ〜〜

ひとりになってからの就職

現在私、まころむはフルタイムで仕事をしております。

 

夫の死後今の仕事に就く前は、若くもないスキルも無い自分が出来る仕事は何だろう?そもそも募集があるのだろうか?仕事を選んでなんかいられない。多少自宅から遠くてもいいから…就職後は職場の人と上手くやれるだろうか?20年以上ぶりの外での仕事要領が悪く虐められないだろうか?もう悪い想像しか浮かんできませんでした。

そんな中たまたま新聞の折込チラシに、自宅から遠くない耳にした事のある会社が女性スタッフを募集しているのを見つけました。条件も良さそうだしヨシ!まずはここに挑戦してみよう

ダメならまた次。そんな気持ちで問い合わせました。すぐに面接の日が決まり面談、適性検査を受け(なるほど今はこうやってやるんだ)なんて緊張しながらも面接を終えて帰宅したのを覚えています。結果は1週間程でご連絡しますと言うことだったので呑気に構えていたら、外出中に「採用です」の連絡を受け電話を切った後すぐにお弁当箱や通勤に使う服やバッグを購入しました。心の中で「やった!やった!仕事を見つけた!」とても嬉しかったです。自分の為のお弁当箱選びなんて何十年ぶりか。ワクワクが止まりません。結婚している長女、道外で働いている次女に「母さん仕事採用なったよ!!」とすぐに連絡を入れました。2人ともとても喜んでくれました。

 

仕事内容は私でも十分に出来るもので、職場の方は皆さんとても良い方ばかりで「あぁ彼がきっと良い仕事へと導いてくれたんだなぁ」と感謝しかありません。何よりありがたいのは仕事が楽しい事です。最初の不安何だったの?って感じです笑 ただ年齢が1番上で周りが若い方ばかりでちょっと気恥ずかしい所は正直あるのですがまぁそこは…(笑って誤魔化す)

夫が亡くなって2ヶ月での就職。その間にある程度のやるべき手続きは終えて仕事に行くようになってからはお休みの日に手続きに行く。そうやっていると忙しさで寂しさも忘れちゃうもんです。仕事に慣れてくると更に楽しさを感じ本当に自分はラッキーだったと思います。

『案ずるより産むが易し』と言いますが、勇気を出して行動してやってみると意外と道は開けるし人は優しい。もちろんこちらも人と上手くやっていこうという謙虚な気持ちもないといけませんよね。本当に今の職場の方には感謝しています。

 

実はそんな楽しいお仕事ももうすぐ辞めてしまいます。

まころむ…実は…数ヶ月後引越しするんです。

また新たな冒険の始まりです。その話はまた後日

初めまして!

私は昨年夫を病気で亡くし51歳で未亡人となりました。

 

ほぼ専業主婦のような生活を何十年としてきた為何のスキルも無く資格も自動車免許以外持ってないと言う人間だったので、夫が亡くなった後はこの先やっていけるの?と不安でいっぱいでした。

バイトで生活はしていけないから正社員もしくはそれと同等位のお給料を頂ける仕事に就くとなるとこんな歳で求人がそもそもあるのかしら?資格を持たないおばさんを雇ってくれる所があるのか?夫が毎月当たり前の様に稼いでくれていたお給料が口座に振り込まれるのは過去の話。マズいマズいどうする?自分。悲しみに暮れる間も無く仕事探しを始めました。

夫の死後の手続きは色々ありまして、1ヶ月程経った頃に知り合いの方から「どう?落ち着いた?」と度々聞かれまして言葉では「はい少しずつ…」なんて言ってましたが本音は「まだまだやる事あんねん!」って感じでした(笑)

でも落ち着いてひとつひとつ順番にやるべき事をこなしていけばキチンと終わりは来るし、それをするのは自分以外居ないのだからただ頑張らなきゃと必死でした。

空いた時間に同じ様な境遇の方のブログを見たりしてこの先の自分生活の参考にしようとしていたりも。

 

もう2023年も今月で終わりますね。誕生月なのでまたひとつ歳を重ねます。

年上だった夫と同い年になっちゃいます。こうやってこの先私はドンドン彼を追い越してしまうのが少し悔しいですが、結局何が言いたいの?と聞かれましたらこう答えます。

 

夫が亡くなっても何とかなります!

むしろ彼から第2の新しい生き方をプレゼントされたように思えます。

そして今とても楽しく生活しています。

私の生き方や考え方が同じような立場になってしまった人を少しでも勇気づけられたらいいなと思いこの誕生月にブログを立ち上げました。よろしくお願いします。